昨日の夜中、嫁が部屋で寝るよう言ってきたのを、呑気に構えてピアノの練習を始めたところ、すごい形相と声音で怒り狂い、ヒーターと机をなぎ倒して、大声で泣き崩れて困った。何とかなだめて事無きを得たが、こんなことは初めてだったので戸惑った。自分の愛情が足りないのだろう。きっと。
今日は、Hg先生のご尊父のお通夜だったので、夕方頃から堺に向かう。80歳を迎えて尚、元気だったのに、風呂場での突然事故だったそう。憔悴した先生の姿に悲しみの深さを思った。式の次第は、浄土宗に則って執り行なわれた。お金に相応した演出は荘重だったが、霊的な真実からはかけ離れた単なる形式に少し辟易する思いもあった。人々は追想し感動を覚えるのかも知れないが、人々が死について想いを馳せる貴重な機会に、宗教者が居ながら、これほどまで真実を知らないのでは、なんとも呆れるばかり。そこで、霊魂について語ることができれば最良なのだろうが、それはできなかった。ただ出来ることといえば、心のなかで、自分のオーラを通じて、高貴な存在が働く場をつくり、故人の死出の旅が上層幽界に向かう道であることを祈ることであった。
目標
生徒から信頼される教師になること。正しく自己主張できるようになること。
Want
空手を再開する。ピアノの練習をする。
感謝
私はまだ生きている。今日も高貴な存在共に修行の一日を終える。生きているうちに交流が得られていることは、なんと幸いなことだろう。
学び
目を鍛えることが、視野を広げ、表面意識を鍛え、人との壁を超えていく道に通じているのだろう。
行
水、光、次伝、呼吸法