霊的修行者のまわり道日記

一般社団法人契山館の会員のブログです。このブログは個人の理解の範囲で書いており、会の公式な見解ではありません。

神伝の法を行うと、何が変わる?

記事を書きました。
神伝の法を行うと、何が変わる? : 一般社団法人契山館・大阪支部ブログ ~死後の世界を真面目に考える会~

 ある日の支部集会で、「神伝の法を行って、どんな変化がありましたか?」との話題が挙がりました。

 まだ神伝の法を習われておられない方にとって、神伝の法によって、何が変わるのかを知ることは、とても関心のあることと思います。
 一口に言うことは難しいのですが、こんな感じかなと思われるものを、例え話で説明してみます。

 肉体の意識と、幽体の意識との関係は、例えるならば、言葉を覚えたての幼子(幽体の意識)と、その親(肉体の意識)に例えられます。

 肉体の意識は、年齢とともにさまざまな人生経験を経るにつれて、時には厳しく自分を律しながら、社会性を身に付けて行き、個人差はありますが、歳相応に成長して行きます。
 一方、幽体の意識は、生まれた時から、肉体の中に縛られて自由に動くこともできず、直接自分の意思を表現することもできません。また表面の意識である肉体の意識に主導権を奪われているため、常に意識の奥に隠れて、自己の責任を逃れながら、社会性を持たずにいられるため、ほとんど意識が成長することはないようです。
 むしろ、自分の意のままにならないながらも、肉体の意識と同じ経験を強いられるために、かえって不貞腐れて、さらにストレスを抱えてしまうようです。詳しくは、水波師の著書「幽体の悲劇」をお読みください。

 そうして、肉体の意識の成長度合いと、幽体の意識の成長度合いに差が生まれてしまった状態は、あたかも幼子を連れて道を歩く、親の姿に例えられるかもしれません。

 幼子は、親に連れられて、楽しみがあると思って、期待に胸を膨らませて付いて来たものの、ただ歩くばかりで、景色は変わっても、美味しいものもご褒美もなく、だんだんと退屈になり、体の疲れとともに、お腹も空いてきて、とうとう足が止まってしまいました。

 さて、こうなると親は大変です。これから右の道を行こうとしていたのに、子供が一歩も動きません。何とか、再び歩いてもらおうと思って、「どうしたの?」と尋ねても、子供はぐずるばかりで、何を考えているのかわかりません。子供が何を求めているのかを探ろうと、手を変え品を変え、言葉や動作で、気を引こうとしますが、とうとう子供は泣き出してしまいました。

 この時、親は選択に迫られます。とにかく子が泣き止むよう、元来た道を帰るようなだめるか、無理やり子供を引っ張って、先を急ぐかです。
 先を急ぐためには、子供を叱りつけて、恐怖で押さえつけることになるかもしれません。そんなことが、子供の意識の成長にとって良くないどころか、逆に伸びやかな心の成長を止めてしまうことにも繋がることは、容易に想像されます。

 その時、子供が求めていたものは、体の疲れの癒やしと、栄養のある食べ物だったのですが、そんなものがすぐに満たされることはありません。それでも、子供は、辺り構わず、一心不乱に真剣に訴えますので、親はほとほとと困り果ててしまうのです。

 これは一つの例え話ですが、誰しも人生のある場面で、心の奥の意識の葛藤のような経験をお持ちではないでしょうか。例えば…

  ・選択肢が2つ与えられて、一方が正しいと頭で分かってはいるのに、なぜかあの時、もう一方を選んでしまい、今では後悔している…。
  ・普段は礼儀正しく振る舞うよう気をつけていたのに、お酒の席でふと気持ちが緩んで、言わなくてもいい一言を言ってしまって、人間関係が壊れてしまった…。
  ・今やらなければならないことがあるのに、どうにもやる気が起きず、体が動かなかった…。

 こうした場面において、意識の奥では、幽体の意識が先程の幼子のように、激しく何かを訴えているのかも知れません。でも、それが何を求めているのか、肉体の意識には全くわかりません。何か心の奥が強く騒いでいる、ただそれだけしか分かりません。

 こんな場面で本当に必要なことは何なのでしょうか。それは、心を強く持って、同じ失敗を繰り返さないように、己を厳しく律することではなく、意識の奥で泣き叫んでいる幽体の真の願いに、応えてあげることなのです。

 幽体の真の願い、それは栄養のある食べ物をたくさん食べて、大人のように、私も成長したい、です。
 幽体の栄養とは、高級な幽気です。それは、現代では、地上には見当たらなくなってしまいました。高級な幽気を得るには、今は、神伝の法を行うしかありません。

 私は、幽体が騒いでいるなと思った時には、神伝禊法を行います。そうすると、ガンガンと頭の中で響いていた雑音が消え、静かで凪いだような心地になり、落ち着きを取り戻すことができるようになります。

 契山館に入会してから、何度も神伝の法の合宿に参加し、集会や行事にも参加する中で、私の幽体は、高級な幽気を得て、相応に成長したためか、今では、心の奥が騒ぐような場面が、入会前と比べると格段に少なくなっているように思います。

 今、自分の幽体の意識とは、どこか共に長い旅を歩む同志のような、互いの良い部分も悪い部分も理解しあえた仲間のような、奇妙な親近感があります。自分ひとりの人生ではありながら、同志と二人三脚の人生を歩んでいるような…、こんな不思議な心境は、神伝の法を実習しないと、決して至ることはなかったと思います。

 高級な幽気を得て、幽体が成長し、意識の奥が変化し始めた時、その時初めて、幽体の意識に振り回されない、自分の本来の人生が始まるとも言えるのかも知れません。

 今回は、神伝の法を実践すると、起こる変化について、お話しました。これはあくまでも私個人の感想ですので、他の方はまた異なる感想をお持ちと思います。ぜひ、他の方の感想もお待ちしております。

 いずれにしましても、言葉で説明できることには、限りがあります。興味がある方は、ぜひ一度、実践をお勧めいたします。

 高級な幽気を得る方法は、もう一つありました。
 それは、支部の集会に参加することです。
 どなたでも一度は、見学により参加することができます。
 ぜひ一度、体験してみてください。