霊的修行者のまわり道日記

一般社団法人契山館の会員のブログです。このブログは個人の理解の範囲で書いており、会の公式な見解ではありません。

霊魂に目覚めた人々へ

 昔の人々は、素朴でした。五穀豊穣や自然を司る高貴な存在への信仰が、生活の一部となっていました。高貴な存在に頭を下げるとき、そこに愛や利他の精神や先祖供養など、難しい哲学や理屈はありませんでした。
 それでも、理屈など何も分からずとも、普通に生きて霊的な進歩を得て、死後高い世界に行っていたようです。
 一方、現代の人々はどうでしょうか。教育の向上がもたらした科学的理性のおかげで、頭で納得しないと神を信じられないという、人々が現れ始めました。あるいは、スピリチュアリズムという、大衆受けの良いカジュアルな宗教が現れ始めました。

 神の名のもとに、愛や利他や奉仕や、潜在意識の向上や先祖供養を主張する人々は、自らに都合の良い神の姿を、想像で勝手に作り上げているに過ぎません。美辞麗句の陰に、自らの醜い欲望を巧妙に隠しています。自らの幸福のために、神の名を利用しているのです。そんな人々を、真の神はどのようにご覧になるでしょうか。

 人間は、ただ欲望を満たすためだけに、生きているのではありません。霊的生命体としての人は、まるで向日葵が太陽にその顔を向けるように、高級な幽気を求めています。実は人は、高級な幽気を得て、幽体を成長させること、そのために生きていると言っても過言ではありません。
 古代の人々は、それを霊的感性として知っていたのです。ただ神仏の偉大さを前にして、人々の信仰心が生み出す高い霊的空間に降りる高級な幽気、その力にひれ伏してきたのです。
 ひとたび高級な空間に入り、高級な幽気を得たとき、人は初めて、高貴な存在の偉大さを知るのです。理屈ではなく、体験を通じて、少しずつ理解していくより他はないのです。

 今、大切なのは、人にとって命とも言える高級な幽気です。それを知らずして、神を語ることなかれ。
 契山館には高級な幽気をもたらす技法があります。ぜひ一度体験してみてください。
 まずは当会の門を叩いてください。
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