当会に入会して、愛というものに対する概念が、大きく変わったように思います。それまで漠然と愛だと思っていたものは、どうやら単に動物的な本能に由来するものであったようです。
ふと、仏教説話にある、月兎のお話を思い出しました。
昔、あるところにうさぎときつねとさるがおりました。ある日、疲れ果てて食べ物を乞う老人に出会い、3匹は老人のために食べ物を集めます。さるは木の実を、きつねは魚をとってきましたが、うさぎは一生懸命頑張っても、何も持ってくることができませんでした。そこで悩んだうさぎは、「私を食べてください」といって火の中にとびこみ、自分の身を老人に捧げたのです。実は、その老人とは、3匹の行いを試そうとした帝釈天(タイシャクテン)という神様。帝釈天は、そんなうさぎを哀れみ、月の中に甦らせて、皆の手本にしたのです。
(http://www.i-nekko.jp/gyoji/2014-090310.htmlより)
自分よりも貴いもののために、自らの最も大切なものを差し出すこと、それは愛なのかも知れません。
いや。それさえもちっぽけな人間の考える愛に過ぎないのでしょう。もっと遥かに大きな存在の愛とは、なんでしょう。それは太陽の光のようなもの…。どうなのでしょうね。
それを求め続けていきたいです。