霊的修行者のまわり道日記

一般社団法人契山館の会員のブログです。このブログは個人の理解の範囲で書いており、会の公式な見解ではありません。

神様の禊と合宿と

合宿後初出勤。どことなく気分は爽快で、いつもと何かが違う。人と話していても気後れするところが今日は一切無い。合宿で高い気を受けて、幽体の状態がすこぶる良好なのだろうか。こんな日には、あの夏の合宿のあとのことを思い出す。ある良く晴れた午後、心地良い風を肌に受け、その風が体をゆったりと包みながら吹き過ぎてゆく、ただそれだけなのに、喩えようもないほど満ち足りた幸福感に包まれた、あの日のことを。この名もなき幸福こそが、人知れず涙を流した日々に心の奥底で、叫びのように、祈りのように求めていたものなのだ。それは合宿にあった。合宿にあるということは、この世にあるということ。そして、この幸福が私に限ったものでないとすれば、万人が心の奥底で求めている幸福は、合宿にあるんだ。そのことを、人々に伝えたい。今涙を流している人に、今幸福な人に。

私たちは、禊をする。禊により幽的な汚れが清められ、とてもすっきりする。日々禊を行うことは、毎日お風呂に入らなければ、どこか汚いような不快感を覚えるのと同じ理由だ。ところで、故事によれば、神様も禊をする。これは憶測であるが、もし私達が神の御霊のほんの微細な何かを受け継いでおり、例えるならば神霊の細胞の一つ様な存在であるとするならば、その細胞が汚れに汚れてしまっているとき、禊を行われて、汚れた細胞が洗い流されたとしても何ら不思議はないように思う。そして、もしこの地球の諸活動が神霊の力の物質的な表現であるとするならば、神様の禊のエネルギーが、巨大な地震として表現されたとしても不思議はないのではないか。合宿を前にして、神界が動かれていることと、何かそうした繋がりがあるのかなと、ふと禊をしながら思った。

目標

生徒から信頼される教師になること。正しく自己主張できるようになること。

Want

ピアノの練習。祓いの道具・資料整理。文字おこし。教行信証を読む。携帯セットアップ。洗車。

水、光、呼吸法、中伝、幽育