霊的修行者のまわり道日記

一般社団法人契山館の会員のブログです。このブログは個人の理解の範囲で書いており、会の公式な見解ではありません。

悪の起源

今日、一つの詩に出会った。

どうして神の属性の一つの表現媒体でもある人間に、おぞましい悪の属性があるのか謎だったが、この詩に一つの解を見た気がした。

  • それ自体は善でも悪でもないのだがその力をどのように用いるのかによって、悪が生まれた
  • 善なる存在である木から断絶されて、悪の属性が強調されることによって、悪が生まれた

悪なる属性は決してなくならない。それは力とも言えるのではないだろうか。それを高い知恵によって用いるのか、あるいは邪なる知恵によって用いるのか、そこから悪が生まれる。

『悪の起源』
昔、世界について考えつづける男がいた。
ほとんどの時間、彼の精神は悪の起源を知りたいという欲求で苦しんでいた。
けれども彼はどんな答えも見つけられなかった。
彼は考えた。
「世界はすべては神からやってきている。
そして神はその内側に、良きものしか持っていらっしゃらない。だとしたら、悪はなぜ良きものから生まれるのか?」
彼はひたすら考えた。しかしそれは無駄だった。
答えは見つからなかったのだ。
ある日、この陰うつな思考者は、道の途中で一本の木に出会った。
その木は、斧と会話をしていた。
斧は木に対してこう言っていたのだった。
「君ができないことを、僕はできるよ。
僕は君を切り倒せるが、君は僕を切り倒せない」
すると木は、この傲慢な斧に向かってこう答えた。
「1年前に、ある人間が木を切り出し、そこから君の柄をつくり出した。
斧の柄は僕の体から生まれたのだよ」
男がこの会話を聞いたとき、魂のなかに、ある考えが沸き起こった。
それを明確に言葉にすることはできなかったが、それでもそれは、彼の疑問に答えていた。
悪が、善からどのように生まれるかという疑問に。

ルドルフ・シュタイナー
■『反抗期のシュタイナー教育』より
ヘルマン・ケプケ【著】
合原弘子【訳】
学陽書房