霊的修行者のまわり道日記

一般社団法人契山館の会員のブログです。このブログは個人の理解の範囲で書いており、会の公式な見解ではありません。

水波一郎師の新刊『二本足の霊魂』のご紹介

旧約聖書の創世記における、アダムとエヴァのお話は、よく知られております。

エデンの園の中央には命の木と善悪の知識の木と呼ばれる2本の木があった。主なる神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならないと命令した。その後、女(エバ)が創造される。蛇が女に近付き、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。女はその実を食べた後、アダムにもそれを勧めた。実を食べた2人は目が開けて自分達が裸であることに気付き、それを恥じてイチジクの葉で腰を覆ったという。

この結果、蛇は腹這いの生物となり、女は妊娠と出産の苦痛が増し、また、地(アダム)が呪われることによって、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少することを主なる神は言い渡す。主なる神は命の木の実をも食べることを恐れ、彼らに衣を与えると、2人を園から追放する。命の木を守るため、主なる神はエデンの東にケルビムときらめいて回転する剣の炎を置いた。(Wikipedia: 『アダムとエバ』より)

水波霊魂学によると、世界各地に残る神話の中には、高貴な霊的存在からのメッセージが色濃く反映された、霊的な真実が伝えられているものもあるとのことです。しかし古代の神話は、古代の人々の理解度に合わせて書かれており、また象徴的に書かれているため、現代人にとっては、非科学的なものに映り、それが真実であると信じるのは、宗教者のみとなってしまいました。それでも古来より人々は、このアダムとエヴァの神話から、原罪、蛇、失楽園、人生の苦悩、永遠の命、などのテーマをさまざま読み解いて来ました。

そして今、現代における霊媒である、水波一郎師が、科学が発達した現代人の理性にも理解しうる新たな神話を、高貴な存在より降ろしてくださいました。それが本書である『二本足の霊魂』です。現代を生きる私たちは、この新たな神話からさまざまな教訓を得るべきなのだと思います。

本書によると、人類は、楽園を主なる神によって追放されたのではなく、自らの意思によって、上位の霊魂の制止を無視して、飛び出したというのです。それは、いわゆる原罪というよりも、むしろその実態は、物質の世界という未知の世界を知りたいという探究心の現れだったようなのです。

人類は、元々は楽園とも呼べる自由なる幽質の世界に暮らしていたのですが、あまりにすべてが満たされていて、なに不自由なく暮らしていたために、少しくらいは危険を犯してみたい気持ちが抑えられなくなりました。少しの間、危険な世界に降りて、またすぐに戻ってこられると、軽い気持ちで思っていたようです。

しかし、人間よりも上位の高貴な霊魂方は、その探究心が、将来大変な不幸な結果をもたらすということが予見されたので、未熟な人類には、まだ時期尚早であると、諌められたのです。それでも人類は、その忠告を真摯には受け止めず、地上に降りていきました。なにせ人類はこれまで、なに不自由のない生活をしてきて、挫折を一度も経験したこともない、いわば無知の若い魂だったので、自らの力を過信していたのでしょう。

結局、人類は高貴な霊魂の意思を無視しました。それは神の意思に背く、自由なる意志の行使という罪なのかもしれないのでした【原罪】。結果、人類は神より自らの意思で遠ざかっていったのです【失楽園】。

そして地上の動物の身体に次々に侵入していきました。それにより様々な苦悩を抱えることとなったのは、旧約聖書にあるとおりです。本書でも、その後の人類の苦悩の歴史が縷々と語られておりますが、人類の犯して来た罪は、それでもほんの一部に過ぎません。現代の人類は、二度の大きな大戦を起こし、その悲惨な結果を知っていてさえも、原爆を捨てることができないでいます。人類の飽くなき探究心は、一時のかりそめの幸福をもたらし、その実、死後の永遠の苦悩を増やし続けて来たのです。人類は、地上への生誕以来、何も学ばず、何の進歩もしてこなかったのではと思わざるを得ません。

本書では、二本足の霊魂、すなわち人類がもたらした、真実の歴史を伝えています。そこにあるのは、人類の歴史の罪の重さと、その積み重ねとしての現代の状況の厳しい現実のみです。そこに現状を肯定するような甘く楽観的な事実は一切ありません。

現代人は、真に高級な神や仏からの高貴な存在のメッセージよりも、巷に流行るスピリチュアリズムなどの耳に心地よく、人を酔わせるメッセージにばかり関心があるように見えます。真に高級なメッセージは、人類の現状を強く否定するような厳しいものなのかもしれません。しかしそれは、現状を変えなければ、さらに不幸になるという時、深い愛から発せられているものと知るべきです。

人は楽園を追放されたのではありません。自ら不幸に向かって飛び出したのです。そしてこれまで人類が生み出してきたものは、詰まるところは不幸のみでした。物質の世界に、真の幸福は、何一つ見つかりませんでした。元の世界に帰りたいけれども、長い歴史のうちに、もう自らの力では帰るに帰れない複雑な現状を招いてしまった、そんな哀れな人類に、今もキリストと呼ばれる高貴な魂は、救いの手を差し伸べておられます。まだ救いの道はあります。本書にその道は示されております。

人々が、本書をお読みになり、人類の本当の罪の歴史を知り、そして霊魂として、楽園への帰り道を歩まれることを、切に願っております。

神話を不幸なまま終わらせず、アダムとエヴァの物語に救いをもたらすのは、今を生きる私たち一人ひとりなのです。